2019年以降、「働き方改革関連法」に基づいて多くの業種で時間外・休日労働時間の上限規制が実施されてきました。医療業界については5年間の猶予期間が設けられ、2021年に「改正医療法」が成立。3年間の準備期間を経て、いよいよ本年4月1日以降、医師の時間外・休日労働も年960時間以内に制限されます(医療機関の種別によって例外措置あり)。これにより、日々臨床現場で働く医師や医療を利用するわたしたちに、どのような変化がもたらされるのでしょうか? 今回は、「医療業界の2024年問題」をめぐる諸課題と対応について考えます。
長時間労働で支えられてきた医療の現場
まず、医療現場における医師の勤務実態がどうなっているのか、厚生労働省のデータで見てみましょう。現在、病院常勤医師のうち約4割が年960時間以上、さらに約1割が年1,860時間以上もの時間外・休日労働に従事しています1。また厚生労働省の報告2によると、時間外労働時間の状況は診療科によって異なり、特に救急科、外科、脳神経外科、産婦人科などで長時間の時間外労働に従事する医師の割合が高いことがわかっています。年代別では、若い世代ほど割合が高いことがわかりますが、40代および50代でも、一定数の医師が長時間の時間外労働に従事しています。【詳細は、グラフ参照】
長時間に及ぶ労働は、医師の健康を損なうだけでなく、医療の質にも影響を与えかねません。「医師の働き方改革」に関する検討会の中でも「長時間の連続勤務や徹夜をすると、脳機能が低下する」ことが報告3されています。また、睡眠不足で疲労感が蓄積すると、倫理的意識が低下することもわかっています。極度のストレスから、医師が自死を選択してしまうケースも報告されており、大きな社会問題となっています。
医師の時間外・休日労働時間の上限を「年960時間」に制限
そこで、時間外労働を減らして医師の心身の健康を確保し、同時に質の高い医療を持続可能な形で提供することを目的とした「医師の働き方改革」が進められることになり、今春から改正医療法が本格的に運用されます。同法では、医師の時間外・休日労働の上限を医療機関の種別ごとに設定し、さらに医師による面接指導(医師が健康状態をチェック)の時間や休息時間を確保することが義務化されます。【表参照】
これにより、一般の診療医(A)の時間外・休日労働時間は、年960時間が上限となります。ただし、2035年度末までの時限措置として、医師を派遣する病院(大学病院など)、指定を受けた医療機関(連携B、B)に限り、上限は年1,860時間までとなります。臨床・専門研修及び高度技能の修得研修施設(C-1、C-2)についても、同様に上限は年1,860時間までとなります。こちらは時限措置ではありませんが、最終的には縮減を目指しており、いずれの医療機関でも、将来的には時間外・休日労働「年960時間以内」を目指すことが求められています。
地域医療を支えてきた「医師の派遣」に制約が
新たな上限規制が設けられることによって、医師が長時間勤務から解放され、同時に質の高い医療を提供できる医療体制が整備されることになれば歓迎すべきことなのですが、医師の長時間労働の背景にある「地域医療における医師不足」という問題が解決していない以上、かえって現場に様々なひずみをもたらす可能性を懸念する声も聞かれます。新松戸中央総合病院/新松戸高精度放射線治療センター・センター長の伊丹純先生は「医療現場では、外来及び当直に多くの医師を必要としており、現在は大学病院から派遣される多くの医師が、兼業という形で医療を支えています。しかし、医師の労働時間が制限されることで、今後は大学病院から医師派遣ができなくなる可能性があります」と指摘します。
医師の派遣は「労働者派遣法」で禁止4されていますが、例外規定としてへき地及び「地域医療確保のために派遣労働者を従事させる必要がある」と判断される施設に限り、派遣が認められます。厚生労働省の報告2によると、大学病院の常勤医師の9割以上が、他の医療機関と兼業していました。同報告では、大学病院の常勤医師のうち、勤務時間が週60時間労働(年間時間外・休日労働960時間換算)を超える医師が半数を占めており、うち半分は兼業先での時間外・休日勤務との合算で年960時間を超えていました。日本の地域医療が、医師(特に大学常勤医)の兼業で支えられていることは、この数字からも明らかです。【詳細は、グラフ参照】
また、国立大学病院長会議の調査報告5によると、全国の国立大学が、約1万の病院に医師を派遣していました。その多くは、国立大学の所在地と同じ都道府県内の病院に派遣されていましたが、中には県境をまたいで医師が派遣される例もありました。国立大学側は、当面は「連携B」制度などを利用して、医師派遣を継続する意向ですが、同制度は時限的措置であり、やがて終了します。そのため、「地域医療における医師不足」という問題についても、いずれ根本的な解決が求められるようになります。
救急業務の縮小や患者数の上限設定など深刻な影響を受ける可能性も
医師の働き方改革は、医療機関を利用するわたしたちにどのような影響を及ぼすでしょうか。伊丹先生は、すでに多くの病院が医師不足であること、特に多くの国公立病院は、産休に伴う代替医の確保にも苦労するほど医師が不足している現状から、大学病院からの医師派遣が困難になることで「救急業務の縮小、患者上限人数の設定などが現実の問題となるのではないか」と危惧しています。さらに場合によっては、当直医の不在などを理由に、救急搬送の受け入れが難しくなる可能性もあるのではないかと警鐘を鳴らします。
こうした現状に対して、地域医療を維持するための様々な取り組みもスタートしています。厚生労働省は、医療機関における医師の適切な労務管理を促す一方で、医療機関利用者に向けては、「上手な医療のかかり方.jp」を開設6して、かかりつけ医の活用、救急医療の適切な利用、相談ダイヤル(こども医療でんわ相談は#8000、大人の症状の相談は#7119)の活用を啓発するなど、地域医療の維持を目指した様々な方策を打ち出しています。全国の大学病院も、かかりつけ医への紹介(逆紹介)の推進、診療時間帯および曜日の見直し、なるべく最初の診療予約日に受診してもらうなど、診療体制の適正化に向けた取り組みを開始しました5。
持続可能な医療体制実現に向け、全てのステークホルダーが考え、行動する時
とはいえ、医療を支える医師の不足は、一朝一夕で解決できる問題ではありません。伊丹先生は、医師不足に対する解決策として、「医師の数が少なく負担の大きい診療科の医師については処遇を引き上げる」「女性医師が産休後も再び職場に復帰しやすい環境を整備する」「看護師や医療秘書が活躍できる場面を拡大する」といった具体的な策を提案しています。さらに、医師の働き方改革を機に、一般市民を含めた全てのステークホルダーが医療現場の現状と課題に気づき、それぞれの立場で出来ることを考え、行動を起こすことが、問題解決の力になるだろうと示唆しています。その点では、医療の第一線や医療行政とのかかわりが深く、患者さんとのコミュニケーションという分野にも精通するヘルスケア産業もまた、持続可能な医療体制を実現するという、本来の「医師の働き方改革」に貢献できる部分が少なくないのではないでしょうか。日本が世界に誇る質の高い医療提供体制を、今後も引き続き維持していくためには、立場を超えた協力が不可欠になると思われます。
伊丹純先生 新松戸中央総合病院高精度放射線治療センター長 医学博士。千葉大学医学部卒業。卒業後は研修医を経て、千葉大学医学部(放射線医学講座)にて助手、講師、助教授を経験。1983年にはエッセン大学(ドイツ連邦共和国)に留学。2015年に千葉大学客員教授に就任する。その間、国立病院医療センター第2放射線科医長、国立がんセンター中央病院放射線治療部部長、長崎大学大学院医歯薬総合研究科包括的腫瘍学講座教授などを歴任。2021年より現職を務める。日本医学放射線学会放射線治療認定医、日本中性子捕捉療法学会中性子捕捉療法認定医。 |
※参考文献
厚生労働省「医師の働き方改革.jp」
https://iryou-ishi-hatarakikata.mhlw.go.jp
厚生労働省「マンガで学ぼう!医師の働き方改革」
https://iryou-kinmukankyou.mhlw.go.jp/manga
1) 厚生労働省「医師の働き方改革」:
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001129457.pdf
2) 厚生労働省「医師の勤務実態について」(令和2年9月30日):
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000677264.pdf
3) 厚生労働省「2017年12月22日 第5回医師の働き方改革に関する検討会 議事録」:
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000191239.html
4) 厚生労働省「労働者派遣事業を行うことができない業務は」:
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11600000-Shokugyouanteikyoku/0000133886.pdf
5) 国立大学病院長会議 記者会見(令和5年5月19日):
http://nuh-forum.umin.jp/report/kaigi/pdf/230519.pdf
6) 厚生労働省「上手な医療のかかり方.jp」:
https://kakarikata.mhlw.go.jp
■コスモ・ピーアール ニュースレター
●今年の振り返りと2024年の展望
https://cosmopr.co.jp/ja/the-year-in-review-optimism-for-2024/
●環境とヘルスケア:気候変動がもたらす健康リスクを考える~ヘルスケア産業に求められる対応とは~
https://cosmopr.co.jp/ja/climate-change/
●環境とヘルスケア:PFASをめぐる動きを知る~ヘルスケア産業は、この問題にいかに向き合うべきか~
https://cosmopr.co.jp/ja/healthcare-and-the-environment/
●希少・難治性疾患の課題解決に向けたステークホルダー間の連携
~患者さん・医療関係者・製薬企業が共に行動する時代に~
https://cosmopr.co.jp/ja/solving-challenges-around-rare/
●女性のメンタルヘルス医療現場からの提言を聞く
~メンタルヘルスに不調を抱えている人へのサポーティブな対応は重要です~
https://cosmopr.co.jp/ja/womens-mental-health-advice/
●日本における女性のメンタルヘルスの現状を考える~コロナ禍で増大した課題に、いかに対応するか~
https://cosmopr.co.jp/ja/the-current-state-of-womens-mental-health-in-japan/
●日本における女性の健康
~フェムテックがウィメンズヘルスに果たす役割を考える~
https://cosmopr.co.jp/ja/womens-health-in-japan-jp/